昨年末の熱海の花火大会の日の昼間、東海道五十三次の内の 府中宿(静岡市葵区,JR静岡駅前)から丸子宿(静岡市駿河区)迄の約6kmを歩いてきました。
この宿場間には2つ名物があり、今回は期待満々で歩きました。
1つは安倍川もち、是非少し食べ、又、熱海の友人達にお土産で持って帰りたかった。
もう1つは丸子宿(鞠子宿:まりこじゅく)のとろろ汁を昼食に食べる事でした。
(昨日1月2日,NHK BS103で 「浮世絵ツアー 東海道名所歩き 「東京~静岡の巻」」の放送の中で丸子宿のとろろ汁を放送していました。
今日、1月3日も同チャンネルで、午後4~5時に 「愛知~京都」 を放送します。 興味がありましたら是非ご覧ください。)
で、せっかく駿府城の近くに来ましたので駿府城跡を見学。
写真は東御門付近です。

十返舎一九の 「東海道中膝栗毛」 (1802年~1814年に初刷り)の主人公 弥次さん喜多さんの像もありました。
「東海道中膝栗毛」 の詳細は下記を参照願います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E9%81%93%E4%B8%AD%E8%86%9D%E6%A0%97%E6%AF%9B

約1時間駿府城の回りを見学した後、東海道五十三次の旧道歩きに戻りました。
下写真左の石碑は静岡伊勢丹前の札之辻址。
(札之辻は、お上が民衆に法令を知らせる為に書いた木の板(高札)を立てた場所の事)
下右写真は七間町通りを362号線から2ブロック入った所に、私が歩いた前日に設置された 「府中宿・七間町」の石碑です。 2015年が徳川幕府400年に当たる為の事業の一環のようです。


七間町の新しい石碑には府中宿の全容が説明されていた。
府中宿は江戸から44里(176km),品川宿から19番目の宿場で、東見付(宿場の東の入り口)は現横田町,西見付けは現川越町であり、天保14年(1843年)には本陣2軒旅籠43軒,14071人が住んでおり、東海道最大規模の宿場だったそうです。

上記新しい石碑の所を直角に曲がると人宿町の当時の名産品を説明する石碑あった。
竹細工が有名だったらしい。


その後、新通りを真直ぐ20分強歩くと 「弥勒(みろく)」 の交差点に出た。 この先は安倍川です。
交差点の安部川側の公園内外には多くの石碑や掲示板が立っており、その配置を説明する掲示板迄もがありました。

その内の一部です。
写真左が安部川でさらし首になったと言われている由比正雪の墓碑、右が安部川の義夫の碑です。
由比正雪につては下記のブログの後半を参照願います。
http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2014-07-29


安部川の義夫の碑には下の様な説明書きがあった。

所で、安部川と言うと皆さんは何を思い出しますか?
勿論、「安倍川もち」ですよね。
ここが安倍川もちの発祥の地と言うか、ここの餅が安倍川もちです。
所が、予想外に高価だった事とお店の外観や中に入った感じで清潔感がわかず、食べる事も購入も諦めました。 下写真の安倍川もちの1つ1つは大人の男の親指大よりちょっと大きかったかな。

密かに写真を撮っちゃった! (多分モラル違反だろうな!)
かなりガッカリしながら安倍川の橋を渡り、

静岡市駿河区の手越側の土手で安倍川や富士山を見ながらゆっくりと休息しました。

長くなりますので今回はここ迄にします。
次回は安倍川をすぎた所から 「とろろ汁」 の丸子宿(まりこしゅく)迄を書こうと思います。
何時もつたないブログをお読み頂きありがとうございます。
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